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10位 北上
出典
1921年7月3日、佐世保海軍工廠にて竣工。
1941年8月25日、佐世保海軍工廠にて重雷装艦への改装工事を受ける。これは、重雷装艦による特別夜戦部隊を作るという海軍の計画によるものであった。
1944年8月14日から、佐世保にて回天搭載母艦への改装を受ける。
1945年7月24日、第38任務部隊の空母6隻・艦載機200機が呉港を空襲。これにより北上は大破、航行不能となる。
1946年7月に長崎へ回航され、同年10月より三菱重工業長崎造船所で解体。
9位 愛宕
呉海軍工廠にて建造。艦名は京都府の愛宕山に因んで命名された。
昭和7年(1932年)3月30日就役する。4月16日には犬養毅首相を始めとする政府高官を乗せて東京湾を巡航する。
昭和13年(1938年)4月には近代化改装が行われ、翌14年(1939年)10月に工事完了。昭和16年(1941年)10月「摩耶」に代わって第2艦隊旗艦となる。
ミッドウェー海戦にはミッドウェー島攻略部隊(第二艦隊)の護衛艦として参加。
昭和19年(1944年)10月23日のレイテ沖海戦にて、潜水艦「ダーター」の放った魚雷が右舷に命中し沈没。
8位 龍田
佐世保工廠で建造。1919年3月31日竣工。
1923年の関東大震災では、その高速を活かし、呉から災害援助物資を満載して東京に急行した。
1941年12月8日太平洋戦争開始により、ウェーク島攻略のため援護部隊としてクェゼリン環礁を出撃。22日から23日にかけて行われた戦いで日本軍はウェーク島を占領した。
1944年3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の護衛部隊旗艦として横須賀を出港。翌13日八丈島沖で米潜水艦「サンドランス」 の雷撃を受け沈没。
7位 赤城
出典ascii.jp
巡洋戦艦として呉海軍工廠で建造され、1920年(大正9年)12月6日に起工。
完成前の1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約が締結されたことから、廃艦処分を回避するため、航空母艦に改造。
1938年(昭和13年)、先に大改装を行っていた「加賀」を参考に近代化改装が施された。
真珠湾攻撃が本格的な初陣となり、「加賀」とともに第一航空戦隊を編成。
その後、ミッドウェー海戦に参加。艦攻から外した陸用爆弾が散乱していたところに、米軍機の爆弾が命中し、これらが誘爆を始め致命傷となる。
1942年6月5日、山本長官はミッドウェー攻略中止を各部隊に命じ、魚雷による「赤城」の処分を命令。
6位 雷
浦賀船渠で1930年(昭和5年)3月7日起工。1932年(昭和7年)8月15日竣工。
太平洋戦争開戦時においては、駆逐艦「暁」「響」および「電」と第六駆逐隊を編成し、香港攻略戦に参加。
スラバヤ沖海戦で重巡洋艦「足柄」「妙高」「那智」「羽黒」、駆逐艦「山風」「江風」と共に、英重巡洋艦「エクセター」、英駆逐艦「エンカウンター」、米駆逐艦「ポープ」を撃沈した。
1942年10月14日、ガダルカナル島の戦いに参戦し、陸軍兵士1,129名をガダルカナル島エスペランス岬に輸送。
1944年4月13日、「山陽丸」ととともにメレヨン島に向かっているところ、米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受け沈没。
5位 加賀
出典
1920年(大正9年)7月19日起工。長門型戦艦を上回る高性能戦艦として設計されたが、ワシントン海軍軍縮条約に従い1922年(大正11年)2月5日に建造中止。
しかし、関東大震災によって「天城」が損傷を受けて破棄されるに及び、代艦として本艦が改造されることとなった。
初の実戦参加は1932年(昭和7年)第一次上海事変で、これは史上初の空母の実戦参加でもあった。
真珠湾攻撃では「赤城」とともに第一航空戦隊を編成し、主力とされた。
1942年6月5日のミッドウェー海戦にて、米艦上爆撃機の急降下爆撃により、給油タンク車に命中した一発で大爆発を引き起こし、最後はメインのガソリン庫に引火し沈没。
4位 電
藤永田造船所で1930年(昭和5年)3月7日起工。1932年(昭和7年)11月15日竣工。
開戦時は香港攻略戦に参加。
1942年3月1日にスラバヤ沖海戦に参加。海戦後、撃沈されたイギリス重巡洋艦「エクセター」の乗組員376名を救助した。
1944年5月14日、「響」とともに特設運送船の護衛にあたることとなり、マニラを出港してバリクパパンに向かうところ、米潜水艦「ボーンフィッシュ」の雷撃を受け沈没。
3位 金剛
1911年1月17日、英国のヴィッカース、バロー=イン=ファーネス造船所で起工。日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦であり、イギリスに発注された最後の軍艦。
世界最大、世界最強の戦艦として完成以来その名は世界に轟き、日本海軍の戦力は空前絶後の飛躍を遂げた。
第二次世界大戦に参加した日本戦艦では唯一30ノットを超える高速性能を持ち、空母機動部隊の随伴艦として最適であったため、参戦した戦艦中の最古参にもかかわらず、最も活躍した。その活躍から米アイオワ級戦艦の開発にも影響を与えた。
1944年11月21日、台湾海峡で米潜水艦「シーライオン」の雷撃を受け沈没。
2位 天龍
1919年11月20日竣工。人力装填の単装主砲と魚雷発射管が主兵装。主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の旗艦としての役割を期待された。
太平洋戦争ではウェーキ島攻略戦、第一次ソロモン海戦等に参加。
1942年12月18日、マダン上陸作戦の支援中に米潜水艦アルバコアの雷撃を受け沈没。
1位 島風
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